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舞台探訪者インタビュー 第1回 準急鷲羽さん(第2部) 公開



 舞台探訪者インタビュー 第1回 準急鷲羽さん 第2部:予想外の反響、そして本格化−「AIR」@舞鶴・小浜−


昨日に引き続き、準急鷲羽さんへのインタビュー記事、その第2部をアップしました。

■衝撃的だった鷲羽さんのサイトデビュー

初めて鷲羽さんのサイトを見た時の衝撃は、今でも鮮明に覚えてます。
2006年当時、舞台探訪系のサイトというと、テキストサイト系で文章中心に紹介するもの、そして日記・ブログ系で手短なレポートで紹介するもの、と大きく2つの潮流に分かれていました。
そこに鷲羽さんは、自作の可愛らしいキャラクターの挿し絵と分かりやすいマップという、同人誌のような洗練されたビジュアルを持って、まさに彗星のごとく舞台探訪界に現れたのでした。
「これは凄い才能を持った人が現れたなぁ」
と、当時、驚きを持って鷲羽さんのサイトをながめていた事を思い出します。


ここで、鷲羽さんが登場した当時の舞台探訪事情を整理するため、少し時計の針を戻してみます。

■「おねてぃ」=舞台探訪の“ビッグバン”

アニメ・コミックにおける現代的な舞台探訪活動の一大転機を、2002年1月放送開始の「おねがい☆ティーチャー」とするのは、大方の同意を得られるところでしょう。
この作品を巡る状況を指して、「舞台探訪アーカイブ」管理人のid:genesisさんは「紀元」と指摘されています。


おねがい☆ティーチャー」(2002年1月〜)“みずほ桟橋”と管理人(2002年1月)


(以下、続きで)


現地取材された美しい自然風景を舞台にした「おねてぃ」は、モデルとなった木崎湖周辺に多くのファンが訪れるという現象を生み出しました。
また、訪問後にキャプチャ画像と現地の写真の比較を上げるサイトが続出したことにより、それがまた新たなファンの現地への“聖地巡礼”を促すという、ファン間での循環構造が出現しました。
これ以降、現地取材された多くの作品が作られ、それらの作品に惹かれたファンの舞台探訪活動によって「量が質を生み」、「舞台探訪」は一個の独立したジャンルとして離陸して行きます。


そしてまた、それらのムーブメントは、「おねてぃ」の次回作「おねがい☆ツインズ」(2003年7月放送開始)においてファンの「舞台探訪」を意識した作品作りが行われるという、いわば「逆流現象」を起こすまでに至りました。



今回のインタビューのメインの話題となった京アニAIR」も、このムーブメントの流れにある作品と呼べるでしょう。
AIR」は、元々熱心なファンが多い事もあり、原作の頃から舞台探訪活動が比較的活発に行われていた作品でした。
  AIRの物語に憧れ去年の夏田舎に旅しました (2002年6月〜; 2ch
  「AIR」舞台探訪〜Dream編〜 (2002年11月; 管理人のサイト)
そして、アニメ化にあたり、京アニAIR」の石原監督は、これらファンの声を参考にして現地取材を行ったと証言されています。

 東に「『AIR』の商店街に似ている商店街がある」と聞けば東に飛び、西に「ちょっと『AIR』の感じに似ている海岸があるよ」と聞けば西に飛び、…
 (「AIR」DVD Vol.1 オーディオコメンタリーの石原監督のコメント)



原作ファンによって作り上げられた「舞台」のイメージが、TVアニメに逆流して使われた一つの例だと言えます。
(後の京アニ作品、「Kanon」,「CLANNAD」でもこの手法が踏襲されます)





もちろん、これらは、ネットが製作者とファンとの関係に与えた影響のごく一面にすぎません。
当時のアニメ・マンガなどのサブカルチャー周辺では、ネットを通して作品とファン間,そしてファンとファンの間で今までに無かった速さと密度で情報が交換され、お互いに変化を生み出すという、“ライブ”感覚のダイナミックな文化が生まれつつありました。


鷲羽さんがネットに颯爽と登場したのは、そんな時代の変化のまっただ中でした。
そして、登場以降の鷲羽さんの活動は、そんな時代を象徴するものへと変化して行き、舞台探訪というジャンルの新時代を切り開いて行きます。


次回、『第3部:“鷲羽スタイル”の確立−「Kanon」@横浜・札幌−』は、1月26日(水)に更新予定です。

 本記事内の「おねがい☆ティーチャー」の画像の著作権は、 Please! にあり、ここでは当該作品の比較研究を目的として引用しています。