仮想と現実の真ん中あたり

主に舞台探訪とか聖地巡礼と呼ばれる記録をつづるブログ

「ラストエグザイル」から「銀翼のファム」への世界軸の180度転換

『ラストエグザイル-銀翼のファム-』 Blu-ray No.01

『ラストエグザイル-銀翼のファム-』 Blu-ray No.01



2クール目に突入した「ラストエグザイル銀翼のファム−」の展開が素晴らしい。このまま行けば、「シムーン」以来の傑作になりそうな予感。(使用感には個人差があります)
特に目を見張るのが、圧倒的な物語の構成力。深読み好きのファンが、毎週「そう来たか」とうならされる作品は、最近なかなか無かった。
前作「ラストエグザイル」も良い作品だったけれど、こと物語の構成力に関しては「ファム」の方が上回ったと感じる。
それはなぜか? ここで、「ファム」の物語構成の魅力について、前作「ラスエグ」と比較しつつ考察してみることにしよう。
※以下、「銀翼のファム」と「ラストエグザイル」のネタバレを激しく含みます。ネタバレ回避のため畳んでおきます。




1.ストイックな“男の物語”だった「ラストエグザイル
ラストエグザイル Blu-ray BOX

ラストエグザイル Blu-ray BOX



「ラスエグ」は、自分もBD−BOXを買ってしまったほど好きな作品なのだが、あえて挙げればいくつか不満な点があった。
一つ目は、主役キャラの動機(願望)が、物語世界の流れと関係が薄かったこと。
アレックスの戦いの理由は、半分以上がデルフィーネに対する私怨だった。実際、アレックスは一度は周囲に被害が出るのもかまわず戦闘を命じている。仮に、アレックスが過去のグランドストリームに突入した際にたまたまデルフィーネの姿を目にしていなかったとすると、アレックスの戦いの動機はかなり怪しくなってしまう。
また、クラウスはラストで主人公らしく悲願のグランドストリーム突破を達成するが、それもたまたまエグザイルが落ちたのがデュシス側だったからで、アナトレー側に落ちていれば無かった展開だった。
実は、主役キャラの動機は、「ラスエグ」世界の構造であるアナトレーvsデュシス戦とも、連合vsギルド戦とも直接結びついてなかったのだ。
むしろこの点でアレックスとクラウスを物語世界と結びつけていたのは、アルヴィスだったと言えるだろう。


二つ目は、女性陣の活躍が少なかったこと。
ヒロインのラヴィは、初めての空戦でレッドアウトを起こしてしまい、ナビを降りて整備員になり、一旦前線から離れてしまう。
ソフィアは後半で皇帝となるものの、その後シルヴァーナの副長に戻り、ラストで思い人のアレックスに昔の恋人の名前を呼ばれるという、悲しい結末を迎える。
ラヴィもソフィアも、活躍の場所からすると、クラウスとアレックスの補佐役という位置づけだったと言える。
タチアナは、最初は気丈なエリートパイロットとして登場するものの、後半では毒気を抜かれたようにすっかりしおらしくなってしまう。
デルフィーネに至っては、ただの高慢な独裁者で、悪の元凶として描かれた末、アレックスに殺されるという結末。


振り返ってみると、「ラスエグ」はストイックなほど『男の物語』だった。そのテーマは、一言で言うなら『戦って未来を勝ち取れ』だったと思う。そのため、女性陣は補助的な立場となり、活躍する場面は少なかった。
つまり、物語の軸は、かなりハッキリと男性原理が陽で女性原理が陰の構造だったのである。
その点、「ラスエグ」の物語の構造は、そのメカの描写並みに“レトロ”だったと言えるだろう。


2.現代的なテーマを描く「銀翼のファム
『ラストエグザイル-銀翼のファム-』 Blu-ray No.01

『ラストエグザイル-銀翼のファム-』 Blu-ray No.01



さて、同じ世界の「ラスエグ」から二年後を描いた「ファム」。世界設定は同じでも、その物語構造は大きく変わった。
物語の鍵となるのは、第11話で語られた第1回グランレース。この物語の時計は、10年前のこの日から時を刻んでいる。
女帝ファラフナーズは、平和を願ってこのレースを開催するが、式典の最中に暗殺者の凶弾に倒れてしまう。
そして、この暗殺者は、ファラフナーズが制圧した土地の民である事が暗示される。ファラフナーズは決して平和裡に和平を実現したわけではなかった。それはファラフナーズ自身も良く理解しており、左手首の数珠によって罪を数えていた。
「ラスエグ」では、『戦って未来を勝ち取れ』がメッセージだった。そこに、戦いに勝つ事に対する疑問は必要なかった。しかし、「ファム」の物語は、『戦って得るべきものは何か?』の問いから始まっている。
これは、「ラスエグ」後の現実世界における地域紛争など、多極化・流動化した世界を考えると、より現実的で身近なテーマへの方向転換と言えるだろう。


そして主人公のファムは、このグランレースから「みんなが笑っていられる世界」というメッセージを受け取る。
一方で、ルスキニアは、ファラフナーズの「世界を統合する」という意志を受け継ぐ。彼が左手首にファラフナーズの黒数珠を巻いているのは、彼が自らの罪を自覚しながら、彼なりにファラフナーズの理想を実現しようとしている事を暗示している。
ファラフナーズからそれぞれ意志を引き継いだ二人が、後に世界の命運をかけて対峙する事になる。ここに、10年前の運命の日を起点として、主役キャラの動機と、物語世界の流れが一致する。見事な仕掛けである。


ファムをサポートする役は、主に女性陣が担っている。前作でしおらしい一面を見せたタチアナは、今作ではシルヴィウスの艦長となり、凛々しくアレックスの後任を務めている。
グランレースの悲劇から「他国を信用しない」スタンスをつらぬくディアンは、北の地グラキエスでファムの窮地を救う。
彼女達は、それぞれの価値観の違いこそあれ、アデス連邦の侵略から世界を守る側の立場として描かれる。
そして第15話では、それにヴァサントが加わり、ついに彼女達は協力して戦う立場となる。
前作と比較すると、一転して女性陣にスポットライトが当てられていることが分かる。


この構図を見ると、前作における『戦って未来を勝ち取れ』という男性原理は、今作ではルスキニアが担っている事になる。男性原理が破壊する側の陰として描かれ、女性原理はそれから守ろうとする側の陽として描かれる。見事に前作から世界軸が逆転しているのだ。
この逆転の構図によって、「ファム」は前作よりも物語構造の深化を果たした。
戦争が内包する矛盾。それは戦いを終わらせようとするならば、より強い力で押さえつけなければならず、それはまた新たな戦いを呼ぶという報復の連鎖である。前作では、その矛盾を解決するために、デルフィーネを絶対悪として物語から排除するという手段を取らざるを得なかった。
しかし、「ファム」では、男性原理による力づくの解決をルスキニアが担いつつ、一方でファムが女性原理による共感と連帯の和をミリア,ディアン,そしてサーラ(アウグスタ)と広げて行くという構図により、その矛盾を描きつつ、報復の連鎖を回避する道を模索しているように見える。なんと重層的で、鮮やかな物語の技だろう。


3.「ファム」の今後の展開予想
物語が進んでも、ファムは小型のヴァンシップ“ヴェスパ”に乗り続けている。ナビはいつもジゼルであり、時にはミリアも一緒だ。「ラスエグ」でクラウスが高性能なヴァンシップに乗り換えて、そのためにラヴィがナビを降りざるを得なかったのとは対称的だ。
それも、「ファム」のモチーフが理解出来れば、必然の設定だという事が分かるだろう。クローズアップしたいのは、機械力よりも人間力の方なのだ。
女の子が力によってでなく、世界を守ろうというのだから、時にはリアリティにしわ寄せが行ってしまう。その代表が、銃弾一発で戦艦(アンシャル)が沈むシーンだろう。これを見た時には、あまりのリアリティの無さに開いた口がふさがらなかったけれども、ファムはあくまで武力でなく人間の力で勝つ必要があったのだ。(少々やりすぎだったけど)


第14話のグラキエス崩壊の時点で、「次はいよいよアナトレー連合軍とアデス連邦の対決か?」と思ったけれども、その場合たとえ形の上で勝ったとしても、ルスキニア側の力の論理に屈する事になる。
一体どうするのか?、と首をひねっていたところに来たのが、女性陣のヴァサントの反乱。そして第15話で描かれたのが、力による復讐を叫ぶ反乱連合と、それに反発するファム。物語の構造を理解するなら、納得の展開だろう。ここまで、物語の世界軸は全くブレていない。
きっとこれからも、ファムは、あくまで力でねじ伏せる道を選ばずに、共感と連帯によって『みんなが笑っていられる世界』の実現を目指すだろう。
それこそが『グランレースの悲劇』の再来を避けるための唯一の道であり、多極化した現代に生きる我々の問いに叶う答えでもあるのだから。